gallery atyatsumugi Director's Message
振り返ればアートの仕事に携わりほぼ20年の月日が経ちました。
20代の初めに1ヶ月ほどパリに遊学した折に訪れたギャラリーで、ふと、「日本のアートシーンはどんなだろう?」と、興味が湧いたのが直接のきっかけだったように思います。
帰国後に務めたBunkamura Galleryでは、数々のアーティストやギャラリストに出会い、その個性と人間性に魅了されていきました。特にアーティストの金子國義さんが生み出す世界観が強烈で、大森にあった自宅にもお伺いさせていただいたことを、今でも色濃く思い出します。
大学では社会学を学んでいて、社会人になりたての頃は、20代はやりたいことをやって、好きなことをみつけようと決めていました。心のどこかにいつかどんな形でも書き手になれたらいいな、という気持ちがあったのですが、若く経験の乏しい自分が何か書けることがあるとは思えなかったのもこの頃です。何かを書くにせよ、特定の分野があったほうがいいのではないかと考えていました。
Bunkamura Galleryでの経験で、この先も魅力的なアート人たちと仕事をしていきたいと芽生え始めた気持ちと、自分の方向性が重なるところを見定めて、京都芸術大学で芸術学を学びはじめました。その頃に勤め始めたのが、ギャラリーヤマネです。近現代美術を扱う洋画商で、絵画や彫刻を取り扱っていて、本物を間近で見させていただきました。また、ロンドンでクリスティーズとサザビーズの、イブニングセールとデイセールにそれぞれ参加させて頂いたことが貴重な体験でした。
ただこの頃、もっと歳の近い作家と語らいながら何かをつくっていくシーンに憧れていたことは確かです。働いていた私自身にとっても、美術画商の世界は敷居が高かった。世間的にもアートと社会との乖離に目が向けられ始めた頃だったと思います。ギャラリーの外へ!美術館の外へ! そんな合言葉が聞こえてきそうな世の中であり、この頃から急速に地方での芸術祭が増え始めました。2009年頃のことです。
勤めながら通った大学で芸術学を修め学芸員資格も無事に習得できたあと、飛び込んだのはアートプロジェクトの世界でした。銀座や秋葉原の街中でのアートプロジェクトの実績を持つアーティストの中村政人さんが中心になって立ち上げたアーツ千代田3331に、立ち上げ時の広報スタッフとして採用してもらい、毎日が文化祭のような混沌とした世界の中で鍛えられました。ミスの許されないギャラリストの整った仕事環境とのあまりのギャップに、鍛えられすぎて度胸ができたのか、辞職後はすぐにフリーランスとして活動をしはじめました。美術手帖編集部の皆さんに手取り足取り教えてもらい、執筆と編集の仕事をしたり、プロジェクトの広報をしたり、この時期は仕事をしながらリサーチをしているような気分で、横浜のドヤ街のプロジェクトに関わって、日本の社会課題やそうしたシーンでの文化活動に関する様々な知見を得ることができました。また、社会起業家の方々とお会いしたりして、アーティストと社会起業家の着眼点や発想の近さを、興味深く眺めていたりもしました。
フリーランスが長くなり、2017年からは障害のある方とアートプロジェクトを行うNPOスローレーベルの広報として、メディアリレーションやファンドレイジングに携わり、内外のコミュニケーションデザインを手がけました。思いがけずに非営利組織のマネジメントについて突っ込んだ形で関わらせてもらい、スピード感を持って事業を回していくだけでなく、ビジョンを示して組織の屋台骨をつくり守っていくことの大切さを学ばせてもらいました。
また、この頃から本格的に心理学を学び始めています。ギャラリスト時代から、アートの価値とはいったいなんなのだろうかと抱え続けていた問いの、ある方向性での答えがそこにあるように思ったからです。アートの持つ価値は、アートによって動く人の心のあり様をよく知ることで、従来にはない言葉で語りうるのではないかと感じていたのです。米国ポートランドでの5週間の集中セミナーは、多様性の中で互いを活かす方法を、その厳しさとともに学べた良い機会であり、アートのもたらす自由な空気感が、個々人や人と人との間に与えてくれる余白のありがたさを感じることができました。
そして次第に、かつてのギャラリストとしての仕事に新しい可能性を感じるようになってきました。ブロックチェーン技術を用いたアート作品の証明書発行サービスを提供する会社の存在を知ったり、10年以上アートプロジェクトで活躍するアーティストが、アートマーケットと接続されていないことで、キャリアに天井が存在しているような違和感を感じていたからでしょう。
さらなる転機は2020年。コロナ禍をいいことにオンラインで参加していた数々の学びの場でした。ファシリテーターのボブ・スティルガーさんのリーダーシップに関する半年間のオンラインでの場や、長野大学の大室教授が試作していたアート思考なども織り交ぜた、その人の芯にあるものを社会変革とビジネスの糧にしていくための学びの場(こちらもほぼ半年)の中で、私自身の価値観の根っこにあるアートに対する尊敬や憧れ、その中でアートの力を信じ、アートのある場や人との関わりを楽しんでいる自分自身がいることに、改めて気がつかされました。
もっと確信をもって、アートワールドに自分を注ぎ込んでもいいのかもしれない。そんな予感に後押しされ、2021年6月に会社を立ち上げて、場所を持たないままにギャラリーとしての活動をはじめました。
日本には技術や表現において、素晴らしいアートがたくさんあります。けれども世界のアートシーンではまだまだ市場規模もアーティストの知名度も相対的に小さく、そこにはまだまだ伸びしろしかないともいえます。アーティストが多く存在して、美術館や芸術祭に出かけるアートファンは多くとも、アートを購入するコレクターはまだまだ多くないのが日本の現状です。日本のアートを応援しようなんて人は、希少人種なのかもしれません。その点の課題を、教育なのか、知識なのかと、様々な人が議論をしています。ただ、世界的なアートシーンでは西洋美術史が本流であり、日本の感性や美意識は周縁化された存在でもあります。本流と相対化した上で、どう日本のアートの独自性を解釈し、新しい潮流を生み出していくのか、日本のアートに関わる全ての人にとって、もっと良い作戦が必要だということなのかもしれません。
明るい兆しとしては、アート思考やNFTブームから、クリエイティビティやアートの持つ奥深い問いの魅力に気がつく人が増えてきていることです。アートビジネスにも新しいプレイヤーが続々と参入してきています。ちょっと狭くて保守的だったアート業界も、これからは大きな変化の時期を迎えるでしょう。
変わりゆく時代の中においても、アーティストともに歩みを止めず、アートの力が社会に様々なインパクトをもたらすシーンを作り続けること。そして、アートの価値がより大きく育ち、多くの人の間で楽しまれ続けていくことが私の願いです。
これだけ長いことアートに携わってきても、私にとってアートは「わからない」ものです。ひとついえるのは、「わからない」ものがある素敵さを、アートが与えつづけてくれることで、思考を凝り方ませることなく、未知と触れるために背筋を伸ばす儀礼や驚き、楽しい探究心と、よりクリエイティブな発想を持って行動する自分でいられています。アートの価値の本質は、むしろそんなところにあるのではないでしょうか。
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友川綾子