ブログ「Giardino da mangiare おいしい庭」

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モノクロ写真は白黒なのか? 二元論の極を意識するとあいだの自由度を確保できる。



いつ何時、どのような形で知ったのか忘れてしまったが、「モノクロ写真は何色なのか?」という問いがある。


「モノクロというのであれば、そりゃあ白と黒だろう」


そう答えるのであれば、あなたは観念的な人だといえる。


頭でばかり考えずに、よく目で見て観察してみれば、実際のところ、モノクロ写真は黒に近いグレーから白に近いグレーまで、ありとあらゆる階調のグレーの豊かな集合体なのである。


なぜこの話を思い出したかというと、このところ「あいだ」や「あわい」を感じてみようブームが到来しているように感じるからだ。二元論から自由になり、その間を感じてみようという誘いが、あちらでもこちらでも飛び交っている。


そこでふと、「極」を知らずして、あいだを感じられるのかを疑問に思った。極端な両極を知っている方が、「あいだ」を豊かに行き来できる、自由度を持てるのではないだろうか?


白しか知らない人よりも、真っ黒と真っ白の両方を知っている人の方が、味わえるグレーは豊かなのではないか? もっと世俗的に例えてみると、中流家庭に生まれた中小企業のサラリーマンと、極貧に生まれたが努力して事業で財を成し、かなりの大金持ちになったが、騙されて失敗して身ぐるみ剥がされた元社長の二者であれば、後者の方がこの先に選べる人生の選択肢は多いのではないだろうか?


極端な両極を知ると「あいだ」に自由度が増すように感じる。むしろ、人が自由な心地を感じられる領域は「あいだ」にしかないのかもしれない。自由が少なければ、新たに何かを作り出すことが難しそうだ。「あいだ」はクリエイティブな領域なのである。


正義を主張すること、異なる主義主張をバッサリと切り捨てること。それは、2つはある極のうちの一方を失ってしまうことであり、自由を失うことに等しい。


あるアーティストが、座右の銘のように言っていたことがある。


「どっちでも、どうでもいいんだよ」


いつまでも「あいだ」で揺れながら、どっちつかずに漂うこと。それは彼の創作の態度と言えるのかもしれない。とはいえ、どっちつかずにいつまでも揺れ続けるとは、なんと胆力と思考のエネルギーが必要なことよと、生みだす仕事の人々には感服である。



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