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アート思考はロジックに優先すべきなのか



ビジネスシーンでも、暮らしにおいても、最近はなんだか「感性」や「センス」の重要性を訴える人が増えてきています。アート業界の片隅に身を置く私も、その一人。もともと根っからの感性派だからです。


合理的で説明可能、データを重視して確実なことを選びとろうとする論理派は、長らくビジネスシーンで重用されてきました。感性派の私も論理派に感化されて、「データを示せ」「誰にでも伝わるように、言語化しろ」なんて言葉を指針に、ロジカルに伝えられるよう、ずいぶんと鍛えられたものです。


けれども、世の流れは一変。栄枯盛衰。ビジネスシーンに感性を取り戻そうとする、「アート思考」なんて言葉がもてはやされるようになるのですから、面白いものです。陰陽の法則とでもいうのか、揺り戻しは必ずくるものなのですね。


生まれ持っての感性的な思考回路と、セカンドネイチャーとでも言うべき、大人になってから身につけた論理的な思考回路を、生存戦略として身につけてきた私からすると、論理と感性の、どちらか片方を突き詰めるよりもむしろ、それぞれの力を必要なシーンでハイブリッドに回せることのほうが面白いという立場に、今はいます。


「なんとなく、こういう感じがする」


自分の感性が動くことを、論理ですくい上げて、内省をすすめていく。時には図にしたり、絵にしたり、身振りで示したり、言葉にして表現することで、自分以外の人に伝えることが可能になります。感覚を伝えることで他者を巻き込んで、対話の中で感じたことの解像度をあげていったり、多角的な視点を得ることで、より本質に近づけたりもします。


感覚と思考のダンスとでも言えるでしょうか。感覚と思考を行き来することで、脳がマッサージされるような不思議な感覚があり、ひらめきも生まれやすく、ただただ楽しいのです。


これは、アートを鑑賞して、一緒に見た人と鑑賞体験について話している時に起こることでもあります。ビジネスシーンでも、感覚と思考のダンスは多くの良い効果が生まれることが、想像できます。


感性を満たすと、小さな幸せが生まれる


午後からイベントの本番がある日曜日、朝起きてふと気がつきました。こんな日の私は、午後のイベントでの自分自身の役割を充実させるべく、起きてすぐに仕事モードに切り替えて、合理的に時間を使えるように行動します。しかし、一見すると効率のより合理的な時間の使い方は、私自身の感覚や感性を置き去りにしてしまうのだな、ということです。


季節は春。桜が満開です。暖かな風が吹いて、散歩するとどんなに気持ちがいいだろう。ベッドの中で窓の外を眺めながら、そう感じている自分も、仕事モードに切り替えつつある私も、その朝は、私の内側に同時に存在していました。感覚と論理。相反する二つのものが湧き上がってきていたのでしょう。


この日の私は、感覚的な気持ち良さを優先することにしました。少し長めの朝の散歩に出たのです。春の花が咲く散歩道を、のんびりと歩いて、道行く人を眺めたり、遠くの山に咲く桜の、煙ったようなピンク色に感動しました。とても幸せな時間でした。




こうして感性を満たしている間、私の中の仕事モードが休んでいるわけではありませんでした。マネージャーのごとく、桜を眺めるゆったりした時間を確保しつつも、仕事の質をあげるスケジュールを、どんどんと組み直していました。帰宅して資料のプリントアウトに何分、身支度に何分、余裕を持って会場に着くための出発時間と電車の時刻は何分。


長年のフリーランス生活で鍛えてきた仕事モードの私はなかなかに優秀で、朝の散歩のタイムラグを見事にカバーし、私はこの日、朝の散歩道で得た満たされた気持ちを抱えながら、午後も楽しく仕事に全力投球することができました。


この日に得た気づきはひとつ。


「感性と論理は、弱点を補って互いを活かし合うために、適所で使うと、人生は何倍も幸せに充実する」


長く論理派が幅をきかせてきた日本国ですから、どちらかといえば論理に引っ張られがちな生き方を選んでしまうことが多いのは、感性派の私でさえ否めません。だからこそ今よりもちょっとだけ、自分の感覚や感性を優先してあげてもよいのではないでしょうか。


私の提供するコーチングでは、この感覚や感性に力点をおいてコーチをしています。気になった方はぜひ、WEBから問い合わせください。



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