ビジネスパーソンをイノベーション体質にする、アート思考
MBA(Master of Business Administration)より、MFA(Master of Fine Arts)と、欧米のビジネスパーソンの間でささやかれ出したのは、ここ10年ほどのことだろうか。主にITビジネス界で「イノベーション」という言葉が君臨しだした頃と、時を同じくする。
社会に必要とされる商品やサービスを、合理性を追求することで早く・安く提供する、従来型のファストなビジネスモデルとは違い、「イノベーション」が生み出すビジネスは、これまでに誰も体験したことのない世界を技術によって実現し、新たな生活様式、あらたなニーズ、新たな可能性自体を生み出していく。iPhoneがその典型だろう。iPhoneの誕生により、どんな生活様式やニーズ、そして可能性が生まれたか、少し目を閉じて考えてみれば、イノベーションの効能は明らかなはずだ。アップル社は今年7月に株式の時価総額が1.81兆ドル(約190兆円)を超え、世界一位となったばかりでもある。
そんな社会の変化とは裏腹に、働くビジネスパーソンの多くは「合理的で無駄なく、早く、正確であること」を正義とするように教育されており、社会は未だに合理性を是とする価値観からパラダイムシフトを起こせてはいない。つまりは多くのビジネスパーソンはまだまだ、イノベーションを起こす素地を培っておらずに、土壌を耕すことから始めなければならない状態なのである。
そこで、既存の価値観からの脱却を促し、ビジネスパーソンを「イノベーション」体質にする手法として注目を集めているのが「アート思考(Art Thinking)」なのだ。
アート思考とは何か?
では、アート思考とはいったい何なのだろうか。
思いつくことを下記に箇条書きにしてみた。
アート思考とは?
・前提を疑う/批判的に物事を検証する力
・よく見る、よく聴く、よく嗅ぐ、よく味わう、よく触れる、五感を交えて思考する力
・なぜ、なに、なんで? と、思考と感性を深める問いを立てる力
・言葉と言葉、物事と物事、人と人、人と物事などの「あいだ」に目を向ける力
(見えないもの、まだこの世にないものをみる力)
・既存のルールや規範を俯瞰的/客観的に捉え直す力
・自分の視点や思考を、時空を超えて自在にし、多角的にものごとを捉える力
・自分の軸を明快にして他者と関わる力
・独自の哲学を形成できる力
私は美大で芸術学を学んだのだが、アートを学ぶ過程で身に染み込むように理解する事柄と、上記に記したことは、同義である。つまりは、アーティストであれ、アート論者であれ、アートの素養を身につけている人とは、アート思考が可能な人であると言い換えることができる。だから、MFA(Master of Fine Arts)なのである。
「アーティスト」につきまとう先入観
世間的に、アーティスト像にはバイアスが存在している。「アーティストとは、自身の表現のためならば、ルールを尊重せずにわがままで協調性なく、社会不適合であり、繊細でいつもイライラとしている」というあたりが定説だろうか。岡本太郎バイアスでいえば、「唐突に奇怪な振る舞いをする、子供じみて少々野蛮な人」こそが、アーティストであると思っている人も少なくないだろう。
そうしたバイアスを持ちながら、「アーティストのように思考する、アート思考を身につけよ」と言われたら、善良で社会的にも調和の中にいるビジネスパーソンは、面食らうに決まっている。しかし、バイヤスは、あくまでもバイアスなのである。
数々のアーティストやアート論者と出会ってきた私は、「アート思考ができる人を」こう評価している。
「共感力があるとともに、自分と他者の価値観の相違にいち早く気がつけ、折り合いをつけていくのが上手(自身の意見もちゃんと大切にできる)で、自分自身のポジションを常に最適化し、変化に柔軟で、世代や空間を超えた人類のロマンを行き先として、仲間と共に(自分一人でも)たゆまず歩いていける人」
起業家やリーダーにぴったりな人物像ではないだろうか?
むしろ、個人的にアート思考の薄い人に感じてしまうのは、「自身の意見を正解とする前提に立っている人が多く、話しづらい。ネガティブな意見を頭から拒否したり、本当の意味での対話の機会が得られない」というような、付き合いの不自由さである。いわゆるメタ思考の欠如。その人の意見がこの先20年、30年と、社会の王道であれば特に問題なかろうが、そうはいかないことが強く予想されているのが、2020年現在である。
アート思考の育て方とは?
では、どうすればアート思考を身につけられるのだろうか。お金と時間に余裕がある人は、ぜひ国内外の美術大学でMFA(Master of Fine Arts)を修了して欲しい。美術館に通い、巷の絵画教室にいくなどしても、一定の効果は得られる。ただ、これらは本来アートの文脈や業界で技能と知識を磨きたい人のための場であり、ビジネスにアート思考を活かしたい人にとっては、少々遠回りな道でもある。
ビジネスパーソンに特化したアート思考講座は、日本ではまだまだ少数ではあるが、各所で施策がスタートしている。創世記で日進月歩でもある業界なので、これという決定版をおすすめできはしないのだが、WEBでよくリサーチをすると、良い出会いがあるだろう。私自身も仲間とともにビジネスパーソンに向けたアート思考開発のプログラムを企画・実践し、日々プログラムのブラッシュアップしているところなので、「どういうものか試してみたい」「話をきいてみたい」などあれば、トップページのプロフィール下の問い合わせボタンから、気軽に問い合わせてみて欲しい。
「他者と出会う」「多様な意見を受け入れる」フィールドとしても、アート思考講座に参加することは強くおすすめできるが、まずは小さな一歩から学びたいという人のために、下記におすすめの読書リストを作った。
アート思考の実践は、21世紀のビジネスの現場のみならず、日々の生活に豊かさをもたらすことを約束する。今後の人生のために、アートのエッセンスをビジネスと日常に積極的に取り入れていくことをおすすめしたい。
「アート思考」がよくわかる! おすすめ読書リスト
日本におけるアート思考ブームのきっかけをつくった基本の一冊。アート思考の背景を知るためにも、入門としておすすめ。とても読みやすいです。
この一冊をじっくりと読めば、アート思考が手に入る貴重な本。なぜその絵をいいと感じるか、どれが一番リアルに見えるかなど、仲間と対話しながらアート思考を体験できるワークが収録されていると共に、さまざまなアート思考の視点を丁寧に解説してくれている。4~5名以上のグループで一緒に読むのがおすすめ。面白い!
アート思考を理解する土台となる現代アートについても詳細に語られている本書。アート業界では「アート思考の実践者はアート業界の人ではない!」と目くじらを立てる人が多いが、こちらは直島や金沢21世紀美術館でも実績をお持ちで東京藝術大学大学美術館館長・教授、練馬美術館館長の秋元雄史氏の著作。アートの基礎知識をすでにお持ちの方にとっては、ビジネス寄りの視点よりむしろこの著作がわかり良い。
4.『ビジネス教養としてのアート』
筆者がライターとしていくつかの章を担当した本。歴史的なアートから現代のアートシーンまで、多角的に「アート」を捉えることで、気軽にアートの教養を高められる一冊。アート思考の入門書というよりも、ビジネスマン向けのアート入門書といったところ。
起業家の若宮和男さんによる著作。都内でアート思考のイベントを開催するなど、活動も活発な若宮さんによる多彩な切り口が、多くの気づきを与えてくれる。続編に大人から子供まで楽しめる実践編『ぐんぐん正解がわからなくなる! アート思考ドリル』も楽しくておすすめ。
アート×ビジネス分野の世界の状況を理解するために、読みやすい一冊。アート思考が流行り始めた2018年に刊行された翻訳本なため、内容的には少々古く感じるかもしれない。
巷でいうデザイン思考とアート思考を「ビジョン思考」として提示する本。なぜそうした思考法が必要なのかという背景もよくわかる。
美学と現代アートの研究者伊藤亜沙が視覚のない世界を生きる人の日常を捉えた本。「視覚」を入り口に五感とは何かについて、深く思いを巡らせることができる。
8.『アート・スピリット』
中級者向け。アメリカのアート学生のために制作の心得を教え、長く読み継がれているバイブル的一冊。ビジネスパーソン向けではないので、アートの素養がない人には読みづらい内容かもしれないが、アート思考のエッセンスが詰まっている。ビジネスシーンに翻訳しながらじっくり読んでみて欲しい。
9.『アクティブ・ホープ 』
中級者向け。平和や環境活動に従事する著者が、個人と社会の変容のために実践しているワークを紹介・解説。「アート思考」という言葉は出てこないが、彼女の実践手法はまさに、アート思考的。アート思考を理解している人が、実際のビジネスやプロジェクトに応用するとき、参考にしてみて欲しい一冊。
中級者向け。アート思考に長けた人々の手によって制作され、地球環境に対する「問い」として編まれた一冊。アート思考を身につけたその先にある、活動の一例として手にとってみて欲しい。
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