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星たちと中華

更新日:2020年12月20日



六本木ヒルズの森美術館で開催されている「STARS:現代美術のスターたちー日本から世界へ」は、とてもわかりやすく、世界で評価されている日本人アーティストのグループ展である。みな存命で大御所。国内のみならず海外の美術館にも作品が収蔵されており、世界のアートマーケットで高値で売買されている作家たちだ。


森美術館は2020年夏に開催されるはずだった東京オリンピック・パラリンピックに合わせて、満を持してこの大御所アーティスト6名の作品を見せる展覧会を企画したのだろう。訪日外国人に向けて「日本には、こんな作家も、あんな作家もいる」と、アピールするための企画構成である。コロナ禍で東京オリンピック・パラリンピックが来年に延期されて、人々の生活様式や意識に変化が訪れている今、「STARS展」は、より味わいに深みを帯びているように思う。


アート業界で働き始めたときには、すでに世界的評価を獲得していたこの6名の作家を、ずっと見続けてきた私にとって、作品には既視感しかないのだが、それでも改めて「はっ」とさせられるものがあった。作家たちの持つ、あるいは作品から滲み出る「身体感覚」である。


コロナ禍の自粛期間を経て現在まで、のびのびと在宅ワークを楽しみ、オンラインでのミーティングを歓迎している私は、他者と接触する身体の感覚がどんどん希薄になってきている。


この希薄さ加減は村上隆のいう「スーパーフラット」の感覚と、とても近い。さらにいえば、二次元での美的感覚を三次元に置き直したことで、奇妙な歪みが表象されているフィギアに、これまでにない親近感を持った。二次元になれすぎると、三次元が歪む。それはけっして気持ちのよい自然な景色ではない。




禹煥の作品には、「人間と自然」といった二元論に逃げ込みがちな我々の感覚を、それぞれの間に存在する「あわい」に引き戻してくれる。「リアル」がいいのか「オンライン」がいいのか、単純化して理解するよりもむしろ、それぞれの「あわい」を感じていられるほうが、事物の関係性においては豊かであろう。





正しいことに漂白されていくような世界のなかで、草間彌生が表する、どろりとした性的要素を含むダークな世界感(草間をポップだと理解する人もいるが、ソフトスカルプチュアはやっぱりペニスだと私は思うし、ペニスがみっちりこびりついた赤いカヌーは、なかなかに恐ろしい)に、これまでになく憧憬を覚えた。


いまきっと、私の中には草間が提示するようなデロリとした「闇」が足りていない。私的な居住空間にまで公的な仕事の空間がオンラインを通じて侵食してきたことによる、陰陽のバランスとしての「闇」が不足しているのだろう。いま、居住空間のなかで、私的な時間と公的な仕事の時間とが、折り重なって曖昧に散らばっていやしないだろうか?




宮島達男の《「時の海—東北」プロジェクト(2020 東京)》を以前、同じく森美術館で鑑賞した気には、寒々とした冷たい海のなかで、消えそうな命を灯らせている、弱々しい灯に見えたものだが、今回はなにか、あちこちで蛍が瞬いているような、暖かな命がそこここに、それぞれの時を刻んでいるように感じられた。コロナ禍での人との物理的・社会的な距離の変化を経ての印象の変化であろう。



良くも悪くも印象が変わらなかったのが、奈良美智と杉本博作品だった。奈良作品はいつも、気持ち良いほどにそのまま内的な世界を表出しているし、杉本作品はいつも、時空の設定が広く長く、短期間の騒動に影響されづらい「悠久」の美を纏っているからだろう。


自分自身の感覚が変化すれば、作品の見え方も変化する。


「STARS展」では、その定義を再確認することができた。


展覧会鑑賞後は中国雲南料理 御膳房にてランチ。近所で働く友人が「辛いものが食べたい」というリクエストを聞いて連れて行ってくれた。ゆったりとした店構えの素敵な中華料理店で、ランチだととてもリーズナブル。上品に山椒をきかせた汁なし担々麺が美味しかった。六本木ヒルズからも歩いてすぐなので、ヒルズ内のレストランが混み合っている休日には特に穴場である。





 
 

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