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公開トーク『粒子の言葉をつむぐ』大室悦賀(研究者)×水川千春(美術作家)

更新日:2023年6月7日

*本稿は2022年11月に根津で開催した水川千春個展「根の花」関連イベントとして実施されたトークイベントの内容をテキストにて公開したものです。




友川綾子(以下、友川):こんにちは。本日はお越しいただきましてありがとうございます。いま、東京の文京区根津、「谷根千」といわれたりするエリアで水川千春さんの個展を開催しています。この辺りには小さな町家がたくさん残っていまして、個展会場も大正時代から残っている質屋さんです。入り口の近くにカウンターがあり、屋内には内蔵があります。

個展にあわせて、本日のトークイベントを企画いたしました。水川さんとは分野がかなり違うので異色のトークになるんですけれども、ソーシャル・イノベーション研究の大室悦賀先生との対談になっております。水川さんと大室先生は全く初めてですよね。

左/アーティスト水川千春 中央/gallery ayatsumugi友川綾子 右/ソーシャル・イノベーション研究者 大室悦賀

水川千春(以下、水川):初めてお会いしました。

友川:ソーシャル・イノベーションというと、どちらかというとロジックよりの経営のマネジメントとか数字とかみたいな話になってもおかしく分野だと思うんですけれども、大室先生はもっと柔らかくですね、アート思考とか個人の内発的な動機とか、むしろもっと身体に戻るとか、東洋的な思想がソーシャル・イノベーションに必要だと研究をされていて、アーティストにも非常に関心を持たれていますが、アーティストと直接話すのは実は初めてと伺っています。水川さんはソーシャル・イノベーションにご興味あったりしますか?

水川:初めて聞く言葉でした。ともちゃん(友川)から。「分野が違うけど、きっと水ちゃんの言葉が伝わると思うよ」ってご縁を繋いでくださって、分野は違うんですけど、化学反応があるみたいな。

友川:そうですね。おふたりのことを私が大好きで、お招きしてるようなところがあるんですけれど、分野が違うこともあって、浅いところで何か話が合うというよりも、おふたりがそれぞれ深めてらっしゃる一番深いところで、出会えるような、そんな感じだと思います。なので割と表層的なところよりは、もういきなり深いところで話した方が、いい気がしています。

水川:ソーシャル・イノベーションのお話をちょっと、聞いてみたいなと思います。

大室悦賀(以下、大室):はい、昨日も実は8時間ほどひたすら喋って(笑)なぜこういうイノベーションの研究者がアーティストさんに関心があるかというと、最近はアーティストさんの対談本、どういうプロセスで作品ができて、その中でどんな発想があったりとか、どんなものが瞬間的に閃いていくのかみたいなことを、ずっと研究しているのですが、そこには変化やいま見えてない世界を捉える思考があるからです。

なぜそこに着目するようになったかというと、日本の科学技術はすごくて、こんな小さな国でたくさんノーベル賞をもらっています。ノーベル賞をとられた島津製作所の田中耕一さんによれば、その理由として「漫画があるんだ」とおっしゃる。鳥獣戯画という漫画がありますね。あれが全ての日本の人の発明の原点にあるのではないかというのが、アーティストに関心を持つようになったきっかけです。 漫画由来のものとして端的にいうと、2足歩行ロボット。あれって実は鉄腕アトムが作りたくて、みんな開発しているんです。今だとエヴァンゲリオンですね。そういうところから、芸術に目を向けていきました。 さらに面白いなと思うのは、ノーベル賞を取ってる人たちの趣味をみていくと、また芸術。通常の人の22倍ぐらい芸術に時間を使っているわけです。さらにそこから探り始めると、人類が誕生した紀元前に、洞窟に最初に絵が描かれるわけですよ。

それが実は人間でしか描けないものだと。言語の前に実は絵があって。それが宗教的な活動になっていたり。人間の最も原初的な動きが、絵画だというところが見えてくるんです。

僕ら、特に企業人は普段、生活の中で効率だとか合理性を突き詰めていて、逆にそこに苦しさを感じています。子供たちも含めてですね。それで、うつ病になったりとか、メンタルが苦しくなったりする中で、何が起きてるのかをずっと考えています。一つは論理的に合理的に考える思考方法って、確かに人間的な思考方法ではありますが、実はそれ以外、もう一つ違う思考方法があるのだと。今日はその辺を(水川さんに)お聞きすると面白いなと思ってるんですけど、極端な例を示すと、統合失調症みたいな面があると。僕らには合理的な発想と、そうではない非常に曖昧でよくわからない発想の2種類があり、普通の人はこれを使い分けているんですね。

だけど、統合失調症の人はこれをマネージメントできない。コントロールできないので、乱雑にいろんな形で出ちゃうんですよね。それで僕ら一般人から見ると「この人なんなんだ」みたいになってしまうんですよね。合理的・客観的な発想として見えてるものを、見えてるものらしく表現するという発想と、「(物を指して)これ喋ってるよ」みたいなことを言い始めるような発想・考え方が、アトランダムに出てくるんですね。

でも、実は絵画には、僕らが見ている物質的な世界とは違う世界観もあって、実は芸術家さんとか芸術をやられてる方は、そっち側がすごく秀でていて、そこの世界をうまく使えることによって自分の世界観みたいなのがすごく表現できていたりするのではと。 そちら(内蔵)に飾ってある絵を見ていると、二次元の表現ではありますが、僕には三次元に見えてしまう。すごくすごく次元が、どんどんどんどん、いろんな次元が、あの中には存在していると、すごくすごく感じてしまって、鳥肌がさっきからたってたんです。だからそういう、何て言うんすかね、僕らは普段、普通に見ている、この「机」であるとか、「柱」であるとか3次元の世界。見える世界とは違う、もう1個違う思考法があって、実はそっち側に変化の源泉が全部あるっていうふうにすごく思って。

内蔵の壁一面に展示された大作《根の予感》一部

水川:しゃべりたくなっちゃう(笑)私はそれを「つぼみ」とよんでいるんです。

大室:そこの部分がすごく大事。経営者には、芸術系と哲学系があって、芸術と哲学は必ずしも分離するものではなくて、アーティストさんは、大体すごく哲学をお持ちなんですね。世界観を持っている。だからここが、実は企業経営もベースであるというのが、もうはっきりと見えてるんです。芸術の世界に、全ていろんな、ビジネスというよりも、社会が良い方に変化していく源泉があると思っています。


それで、芸術的なところと、ビジネスの世界が、いますごく近接していていると。実は昨日もちょっとその話をしたんですけれど、現実的な発想と、次元の異なる三次元の発想。僕らが普段生きている三次元の世界とアーティストさんの世界って、次元が全然違うんですよね。 ここの「あいだ」で、うわーって近づいてきたときに、こっから何かとんでもないものが吹き出てきて、そこから何か新しいものが出てくるというのを、「対極の思考」といういい方をしています。 矛盾するものを近づければ近づくほど、何かとんでもないものが出てくる。これ、くっつけてはいけないんです。くっつけてしまうとうまくいかなくて。対極の矛盾するもの、白と黒を混ぜるのではなくて、近づける。これは物理法則でもあるんですけど。

水川:にやにやしちゃう(笑)

大室:論理的に説明してくるとそういうのが確認できたりとか。何かその次元の異なる発想方法と、もう「机」とかっていう、見えてる世界とは違う世界を見ていると、非常に曖昧なところの世界を、この白と黒の間にぶち込んでみると、全然違うものが出てくるみたいなのが、ちょっと論理的には説明が最近できるようになってきていて。

水川:ソーシャル・イノベーションの分野でそういうことが?

大室:アーティストさんの思考法なんかそういうのずっと追っかけていくと、結局、企業とか、普通皆さんって、目的を持って生きるじゃないですか? 実は、目的を持つとそこが制約条件になり、面白いものが生めなくなるんですね。

一方でアーティストは、いろんなインタビューを拝見していると、ほぼ目的もなく作品を、「ただこれがしたい」っていうだけのところから制作していることがすごく多くて。


水川:はい。そうですね。

大室:僕らビジネスの世界はすごく科学的なんですね。論理的な世界。でも最近すごく増えてるのが、私の作品これいいでしょってやるじゃないすか。友川さんもそうです。ギャラリーとか。で、それがビジネスになりつつあるなっていうふうに思って。私がこれだけ素敵だよねって思ってるものを、説明する必要もなくて、これは私が好きなんだから、これ買う人がいるなら買ってって。なんかそういうすごく主観的なものが実はすごくビジネスの世界でも大事だなと最近は思っています。学生にいわれたんですけど、「僕は主観的に僕がいいと思うことをビジネスにしたい。それを別に、科学的に論理的に説明したくないし」と。

友川:たぶんいま、水川さんもすごく話したいことが溜まっていて(笑)

水川:共感できるとこが随所にあって、何から話せばっていう感じも今あるんですけど、本当にすごくあの、お話ししやすいですね(笑)

大室:すいません、こんな変な研究者で(笑)

水川:「同じことを考えてました!」っていう感じの言葉がいっぱいあって。言葉の前に絵があるっておっしゃってたのも、普段からギャラリーのともちゃんと話したりするんですけど。

例えば、「今回のコンセプトはなんですか?」「どうしてこのモチーフなんですか?」って、聞かれるじゃないですか。でもこれまでやっぱり、15年ぐらい一生懸命言葉でも説明しようとしてきたんですね。美術の中でっていうので。最近ちょっと変わって、もう全部正直に言ってもいいやって、去年ぐらいから思い始めてまして、もう何か言っちゃうんですけど、展示が終わった後ぐらいに言語化されるんですね。だから展示中はわからないんです本当に。

今回は絶対、「根っこなんです」っていうとこはわかるんですね。一番最初にともちゃんに連れられて、初めてこの大正時代から残る蔵に入ったときに、あの、ビジョンが先に見えるんですね。 ここにワーッてある根っこの姿が、もう先に見えていて、まだ展示は決まってなかったんですよ。でもこの部屋、根っこじゃんって思っていて、一緒に来てたともちゃんに「この部屋は根っこだよ」ってすごい言うんですけど(笑)

《根の予感》全体

友川:ふぅ〜んって(笑)

水川:温かく見守ってくれるんですけど(笑)「ここね、根っこなんだよ」って、言うんですけど、そのビジョンが何で根っこなのかとか、どういう根っこなのかとかは、自分も全然、訳がわからないんですけど、最初にビジョンがやってくる。でもそのビジョンは、何か過去の紐解きとかでもなくて、未来のような予感みたいな場所からくるんですね。予感みたいな場所に近いところからキャッチする。

そこからもらうんですけど、その後、描き始めたときに、ちょうど蔵の中の右上の。右上の一部分から、描き初めはここからだったんですよ。ここから、それがうわーって、今回、描き初めはうわーって出てくるんですけど。なんかこれぐらい進んだときに「はぁ?」ってなって。なんかこれまでの線と全然違って、しかも書き込みの密度とマクロ具合がこれまでの自分の線と全然違ってたので、「はぁ?」みたいな感じだったんですけど、でもやっぱりいつも炙り出てきたものの声を聞いて、やり取りしつつ進めるんで。

なんか、今回はあぶりがすごく無邪気に「今回はこうだよ〜」みたいな感じで、あの密度で出てきたんですね。でも、思考で考えたら、残り制作期間こんだけって決まっている中で、この密度でこのサイズを描くのって、これまでの制作ペースでいったら不可能でしょって。思考では思うんですけど、あぶりは「こうだよ今回は」って感じでくるから、今回そうなんだったら行くしかないみたいな感じで、ついていく感じなんですね。やっぱり体もそのためにも使うし、自分の手もそのためにあるから、もうやっぱ見えたものを出していくしかないし「なんで今回この密度なんだよ」っていう理由はもうわからない。

段々でも、それを、今回こうだよとかっていうのを紐解いていく、ちょっとしたヒントをキャッチしながら、作品を進めつつ、自分もヒントをもらっていくような感じで。さらにサイズがめちゃくちゃでかい。でも、すごく細かい線がどんどん出てくる。

ミクロとマクロの、大きい視点と、すごい粒子の細かい視点を、行き来するような制作にどんどんなっていっちゃって。それが本当に、先生がさっき言ってくださったみたいな、時空を行き来するような体験は自分でもあって。 海の水使ってるんですけど、その海水の中で、何回も何回も再会を繰り返してきた、小さな粒子たちが、一粒ひとつぶ、また生まれ出てきたときも再会を喜びあって、また今回はこうだみたいな感じで、そのすごいミクロな視点と、あとはこの全体の根っこの、ちょっとこう俯瞰した、大きな時間の流れとか蔵の時間とか、場所とのインスピレーションとか、モチーフにした根っこ自体が持つ3次元の姿とか、そういうちょっと引いた視点というのと、両方を同時に持つことになって。 そうすると、めっちゃ時空酔いし始めて、何かあの、身体的にはものすごい今回消耗したりとかしていて、宇宙旅行に何度も行っているような体の疲れ方をしていたりとか。ちょっと面白い体験だったんですけど、そういう感じでわりと、なんで根っこなのかなっていう理由も、出来上がっていくにつれて少しずつヒントの言葉をもらえるような感じで。 今回、この根っこは根でもあるんですけど。脳のシナプスでもあるんです。地中で根っこがやり取りしてるんですよね、大きな大きな範囲で。地中でこれまでの時代とか今の世界とかずっと見てきた、リアルタイムで見てきた木の根っこってのは地面の下でやり取りしてるんですね。それと同じことが人の脳の中でも起こっていて、しかも同じ形してるっていうのがたまたま制作中に聞いたりとか、脳のシナプスの形と根っこの形が一緒なんだってみたいな情報とかが、やっぱり途中で聞いたりとかして。制作中にヒントがやってくる。

これ、根っこでもあるけど脳のシナプスでもあるんだって自分も段々わかっている。言葉でやっとそれも追いついていく言葉は後付けなんで、どんどん後から言葉でも追いついていく。最終的に脳のシナプスだよっていうところまで、自分でわかった後に、つぼみが今度生まれていくんですけど。

《根の予感》部分

あの蕾が生まれるなっていうところまでは、まだ、あのわかった時点でまだつくってはいなくてその後にまた、映像の制作のために根津を訪れたりとか下見で訪れたときに、根津の街で芙蓉の花を見つけて、今回は絶対、芙蓉の蕾なんだって、また何だかわかんないけど絶対そうみたいなところがまたあって。

で、芙蓉のつぼみを描いているんですけど、その確信とは別のところでまた段々こう描いていくうちに、芙蓉って1日しか咲かない花なんですって。木があってでもどんどん咲いていくけど、それぞれの花は1日で枯れていく。でもどんどん咲いていくっていう、すごい刹那のような花なんだなっていうような部分と、でもほぼその、シナプスに、芙蓉の蕾が今回あるんですけど、たまに百合とか、椿とか他の花の蕾も混ざってるんですね。

この内側の世界はそうなんですけど。その百合とか椿の咲いた状態の花は、こっちの向かい側に展示していて、というところが今回の根で、今私が言葉で理解してる所なんですよね。

大室:うん。いや、なんかみんなアーティストさんってみんなすごいそうだなと。僕らの生活の中にもヒントがそこにあって、目的を持ったり先に解釈して生きるんじゃなくて、そこでこう、瞬間、瞬間、生まれていることを楽しむ方が、僕は大事かなと思ってて。それを死ぬときに解釈すればいいんじゃないかなってぐらいに、すごく思っていて。 で、ビジネスの世界も明らかにそれで。あの目的を持つからすごくつまらない人生、ビジネスになっていくし、人生になっていくし、なんか多分ビジョンという事だったと思うんですけど、すごく曖昧な言葉だと思うんですよね。なんかそれぐらいでよくって。大体こんな方向みたいな。 いまお聞きしていて、すごく思ったのは、これもすごい僕ら、生きるうえでヒントなんですけど、時間って元々ないんですね。どう考えても。時間って僕らが勝手に作って、意味付けてる世界なので、今のお話聞きながら、過去と未来と現在とが、混在してるんですよ。


水川:そうなんです。はい。

大室:ですね。混在してるのが普通なんですよ。それを説明したりとか、何か意味づけし始めると、現在、過去、未来っていうのが分離し始めるんですね。それが論理的世界なんです。だから、それもいいんだけど、そうじゃなくて、現在と過去と未来が混在している生活っていうのが、すごく逆に楽しいんだと思うんですよね。 そういう部分で何ていうかな、僕、本当に芸術って素人で、美術館でちょっと働いたことがあるんですけど。すごい素人であれなんすけど、アートっていう世界はもっと根源的に人間らしい世界観を持っているのかなってすごく思って。

だからそこに触れること、一緒にいること、それこそ自分で描いたらいいと思いますし。そういうのがなんかすごく多くのヒントを、アーティストの方々から得られるんじゃないかなと。すごいだから、今の話なんかでも、現在と過去と未来が混在していて、である時には根っこに行って、ある時にはシナプスに行って。だからそれが何ていうのかな、人間らしい思考方法なんじゃないかなって。最近。

水川:ビジネスもそうですし日常生活もそうだし。いったらもう、アーティストっていう名前も、もうそんなに関係なくて、みんなやってるじゃないですか。

大室:そうそう。本来はそうですね。

水川:みんなやっていて。そう、目的のお話されてた。目的のために何かやる。でも自分自身で訳がわかることなんか、ほんのちょっとじゃないですか、何かこのためだったんだって自分で認識できることなんて、本当にちょっとで、ねえ。人と人が会って、その後、会った

ことによってその後何が起こってるかとかも。

それがずっと世界の中に、無数に続いてて。やっぱり自分は自分のことしかわからないけど、それも、そんなにわからない。自分の意図みたいなのって、そんなに大したことなくて。私もそんなに自分のセンスで描いてますみたいに思えるときはないというか、うん。

何のためっていうのが、そんなに、未知のまま。その善悪でもないと思うんですよ。アートも世界を良くするためにっていうわけでもなくて、ジャッジメントがないんで、そもそも。うん。これにとってはとても良く感じる。これにとっては悪いかもしれない。無数の可能性の中に善悪も何もなくて。


私は結構、あぶりだしには根源的なところにそれが含まれてると思っていて、あの、火と水でやるんですね。もともとは自分の入ったお風呂の残り湯から始めて。


大室:その辺がもうすごく惹かれましたね。

水川:そこからようやく海水になりました。その、自分の身の回りに納得できる、自分の身体的に感じられる水が残り湯だったのが、10年旅する中でようやくそれが海水をそう感じられるようになったということで、いま海の水を使っているんですけれど。水と火で、私はそれを美術の中で感じてやってるんですけど。

例えば、日本の古神道とかでも、「かみ」って書くのを、普通の漢字の「神」じゃなくて、「火」と「水」って書いて、「かみ」と読んだりしてるんですね。「火」を「か」と読んで、「水」を「み」と読む。相反する二つのもので「神」と呼ぶっていう古神道の。

大室:へぇ〜。面白い、面白い。

水川:絶対的な何か一つの正しいものがあるっていうような真実ではなくて、本当に水と火、相反する二つのもののあいだに生まれる、生まれ続けるようなもの。しかもそれがずっと変化し続けているようなところに、根源があるような気がしているんです。

なんかすごくあぶり出し自体の手法も、すごく何かそういう力というか、そういう根源にあった手法という感じ。そういう部分と相性がいい手法だなと思って、それが嬉しいんです。なんか好きなんです。

大室:僕らは「あいだの経営学」っていうんすよ。

水川:あいだ?

大室:はい、もうまさに「あいだ」で揺らいでいく中に、全てがあるので、その揺らぎの中にいることが、ビジネスをするにしても何にしても一番大事で。そこで逆に質問なんですけど、この揺らぎって、不安定になるんですよね。

水川:うん。

大室:強さがないとその揺らげないではないですか。それこそさっきの話じゃないんですけれど、マクロの世界とミクロ世界を行き来して、次元酔いしてしまって。でもそこで戻れるところがあったりとか。もう1回、最初ポジションなのか何なのかわかんないですけど、なんか戻れる場所なり強さなりがないと、次元酔いを楽しめないじゃないですか。そこってどういう?

水川:多分、制作だけじゃなくて、生きてることそのものがそうだと思うんですけど、私はいっこ信頼してるのは、やっぱり体があるっていうのは、すごく、いいね、と思っているんです。

大室:いいですね〜。

水川:結局、皮膚って境界じゃないですか。「かわ」と名がつくものは境界。


友川:例えば「River(川)」もそうなんですか?


大室:うん、うん。

水川:流れる川もやっぱり、向こう側とこちらの岸を隔てている。人間はこの「かわ」をもって、ひとつの境界の中にいるから、存在していられるんですよね。体があるから、滞在できる。

私いろんな場所に滞在制作という名前で、公開制作で1ヶ月ぐらいそこに住んで、また去ってみたいな感じで100ヶ所ぐらい。10年ぐらいはずっと移動生活をしていたんです。その後、出産して7年ぐらい長野県に留まっていたんですよね。移動が止まっていたんです。けれど「ああ、私、それでも今ここに滞在してるんだ」って思ったときがあって。 その後、コロナ禍になって、そしてまたコロナ禍に滞在してるんだってなって。ずっとどこかに滞在しているんだなっていう感覚があって、それは一つ体を持っているから。しっかりとそれを集約できる部分があると思うんです。 どっちみち、いつか離れるじゃないですか。体を離れたらもう混沌のカオスの中に行くので、分離はないけども、でも分離があるから、出会うとか。分離があるから、作るとか。体の分離があるから、言葉とか絵とかを使ってやり取りするっていうところが、すごい愛しいところだと思っていて。

時空酔いしたりとか、いろんなものと繋がるのは、やっぱり人の単位を持ってるからだっていうところが、いつも感動する。人だからできるんだと思うんですよ。芸術も人がやるなっていうところとかも。私、見るのも大好きで音楽も大好きで、それぞれがその、そうなんですよね、その単位っていうのは、すごいなんかあるなって。

大室:でも一方で、肉体って、欲望の根源じゃないですか、食欲とか。

水川:ありますね。

大室:欲望が今度、多次元にアクセスしたりとかそういうところを一方で邪魔するじゃないですか。例えば今回の作品で言えば、マクロとミクロ行ったり来たり。例えば海の水の歴史が自分の中にはいってきて、それを表現してっていうのも。ある意味自我っていう存在の源じゃないですか、肉体って。その辺はそんな感覚はないんですか?

水川:でも、この単位で、ひと1人みたいな単位で、地球に滞在して、そういう次元をこの世界で体験するっていう体験をしようと思う出発点は自我だと思うんです。なんかすごいわがままな気持ちだったりとか、なんかすごいあれやってみたいなとか、別に今寝てたいとか何でもいいんですけど、そういう一番素直な自分の自我みたいなところから繋がっていると思ってる。

だから決してその自我がない聖人のような状態が、いろんな次元と繋がれるっていうわけではなくて、やっぱり何か、こんなこと言われてめっちゃ悲しいんだけどみたいなのとか、なんかスッゴイあの人に会えて嬉しいとか、そういう自分のすごい小さな自我に基づいて、経験とちゃんと繋がって、そこに行く感じがしていて。

滞在制作を始めた頃に、身体もそのために使っている筋トレみたいな感じにやっぱりなっていく感じもあるんですよね。感覚とすごく紐づいてるじゃないですか、身体って。だからやっぱりその肉体でキャッチするみたいな、筋肉みたいな感じで、身体的にやっぱりそれをできることもすごく多いなって思っていて。そんな気がしてます。

大室:研究者をしてると、頭でものを考える。頭だけが中心だったりとか、頭だけがすごく優位な状況っていうのをどうしてもやりがちで、それはあの、今の、残念ながら日本の社会っていうか。世界もそうなんですけれど。頭が全てみたいな、頭で考えてることが全てになっていて、今言っていただいたようにすごく身体っていうのが実は科学的にも、あの腸っていうのがもともとの思考の源泉だったんですね。

水川:へぇ〜! なんか聞いたことがあります。


トークは展覧会場の和室にて実施。オンライン参加者も

大室:実は腸の進化系で脳が生まれてるんですけど。腸がファースト・ブレーンで、脳がセカンド・ブレーンと言われるんですね。それはもう進化論的に明らかになってるんです。だからいまお聞きしていて、やっぱり身体で感じるものとか。多分そこで考えてらっしゃるところも、きっとあると思うんだけど、ある意味、僕ら、生きることが何か脳だけで生きてるっていう、なんか本当になんか宇宙人、頭だけ宇宙人みたいな絵があったり、ああいう感じではなくて、もっと身体。感じる身体で、考えるっていう身体で捉えるみたいな、そういう感覚で生きた方が絶対楽しい。

僕はビジネスの研究をしてるんで、余計それを感じていて。今日、お話を聞きながら、やっぱり身体だよねって。僕らは身体知って言い方をするんですけど。脳ではなくて身体がいろいろ考えてるんで、それをちゃんとちゃんと捉えるっていうのがすごく大事だよねみたいな感じ。

水川:身体に耳を澄ますと私はいってるんですけど。キャッチするときもやっぱり身体で感じることとかも大事ですよね。この部屋に入って、こういう感覚がするとか、こう感じるとか、それこそ日頃の体調とかもそうだと思うんです。こういう感じがするとか。 私、この数年コロナ禍でいろんなことがあったけど、すごくその身体の声を聞くみたいなところが、強制的に引き戻される動きが、人類にあったりとか、シンプルにいえば体調に気をつけていこうよみたいなのとか、疲れたら休もうよみたいな、そういうところにぐっと焦点が当たる数年間だったなというところもあったり。 同時にいろんな問題も浮き彫りになりましたけど、なにかそういう、今後の生きる上でのヒントとかギフトみたいなものでもあったと思っていて。

思考が強くなっていてっておっしゃってて、私自身もまだまだそれを感じていたりとか。どうしても言葉でわかり合いたくなっちゃうし、伝えたくなっちゃう。例えば展示見に来ていただいた方にも、これどういう意味でどういうコンセプトなんだろうっていうところをたくさん聞いていただくのめちゃくちゃ嬉しいし、話したい、伝えたいって思うんですけど、

何もわからなかったけど、こういう感じがしたというだけでも、本当にすごくありがたい。 こう感じたなってというだけで、本当はよくて。 多分これから、感覚を使っていく、思考を使っていく。いま思考がグーッてこうなってて、いろんな経済とか時代とかも思考でずっと発展してきたものが、この後またバランスをとろうとして、感覚がどんどん必要になってくると思うんですよね。

これまで使ってこなかったこの感覚の部分をみんなもっと取り戻していったりとか、その感覚を子供たちの小学校、中学校とかで、感覚で感じるっていうところをもっと育てる教育とか、ちょっと言葉が難しいんですけど。なんかそういうとこでやっぱり、そのバランスをまたこれからとっていく時代に入るんじゃないかなって思っていて、もっともっと持ってる、感覚器官を持っていて。

冬になったら鉱物。自分が鉱物になった感覚がするんです。人間は鉱物だって感覚になったりとか。夏はやっぱり上に伸びる感覚とか、すごく感覚を使って生きていくっていうことが、これからの時代にすごく、大事に。

大室:冬眠するみたいな感じですよね。

安曇野ちひろ美術館にて

友川:なんか、固く、結晶化するっていうことですか?


大室:エネルギーを使わずそこにとどまっているってこと。

水川:そうですね。地中でマグマみたいな力がググってかかって、水晶とかつくられるじゃないすか。ああいうことが冬は人にも起きたりして、ああ鉱物っぽいなぁと思ってるんです。なにかそうした、自分が感じる感覚を信じる。各々が信じる。それは誰にも承認されなくてもいいし、私はこう感じてるんだなって、まずその感覚を自分で自分の感覚を信じる。

というのが大事にする部分なのかな。それはアーティストだけじゃなくて、本当に日常の中でそう思っているんですよね。

友川:私ちょっとひとつ、マニアックな質問をしてもいいですか? 水川さんは「身体を鍛える」と。たしか、自分の内側に芽生えた何かきっかけのような小さな衝動なのかわからないけど、それが現実世界の揺らぎの中で耐えるっていうところのお話の中で、「身体を鍛える」という言葉が出てきたなと思っていて。

水川:そうって言ってたか。筋トレっていったか。


大室:筋トレっていってた。


友川:それってほら、いわゆるジムに行って鍛えるのとは違う意味で。どう鍛えるんだろうなと思って。鍛えられるの?みたいな。その水川さんが言ってる意味での身体を鍛えるってどういうことなのかって。 そもそも水川さんの身体の使い方をもうちょっと聞きたい気持ちと、それは鍛えることができるものなのか? では、どうやって? という質問です。

水川:気づくだけだと思う。そう、もうある。しかも環境と状況によって、いくらでもこう、出たり入ったりして。いっぱい本当はこんなに使える感覚を、自分は持っている。もともと人は持っているんだなと、気づく作業なんじゃないかなって。(気づいて)それを使っていく。使っていけば使っていくほど拡大する。


大室:それを聞くと、座禅がそうなんですよね。


友川:へぇ〜。


大室:座禅はひたすら気づくんなんですよ。

水川:最近、瞑想とかもすごくされてる方が多いですね。

大室:ひたすら気づく。ひたすらに。そのときにもう感覚を全開にするわけです。だから閉じるんではなくて、開く作業なんです。

友川:座禅は開く作業。気づいていく?

大室:何かいろんな思いが出てきたりとか、気になっていることとかが出てくるじゃないですか。ただそれを見る。それも只管打坐っていう言い方をするんですけど、もう今おっしゃってる感覚。だからそれがある意味、仏教でというところの悟り。悟りって、特に曹洞宗の道元が言ってる言葉でいうと、迷い、悟りってのは迷いなのだと。

だから「揺らぎそのものが悟ってることなんですよ」とおっしゃるんです。だからプロセスにいることがすごい大事なんですといってるでしょ。そこでは「気づく」。頭だけではなくて、五感で気づく。 例えば苦行ってするじゃないですか。例えば千日回峰行。もうひたすら歩き回る。そうすると肉体がどんどん疲れていく。そうすると他の感覚が生まれるとか。例えばこういう蔵の中で電気を消して、9日間ひたすら眠ることもなくいるわけです。そうすると真っ暗なはずなのに、光を感じたりするわけですよね。それが修行なんです。だから、感覚を開く。鍛えるという表現とともに、こう開くっていう。

水川:内省ですよね。本当に自分の内側に向かっていく事って、開いていくことと同時に起こる。

大室:そうです。

水川:世界は元々こっちにある。

大室:だから、開かないと入れないんです。

友川:なるほど。開いてないと自分の内側のこともよくわからないと。

大室:閉じていると見えないですよね。徹底して開かないと見えない。それを水川さんは鍛えるとおっしゃったんですね。

友川:なるほど!

大室:アーティストさんがは比較的そういう方が多いんですね、見ていると。やっぱりだから芸術の世界、アートの世界に惹かれていくし、やっぱり人間が根源的に絵を描いてきたっていうところと。で、言葉って後から出てるんで。実は構造化は次に来るんですよね。だから、水川さんが先ほどお話をされていた、「展覧会が終わらないと解釈できない、したくない」という、それが本当に自然なんですよね。

だから僕ら、解釈をしたりとか意味づけしたりっていうことをしたがるんですけれど、なるべくしない方がいいんですよ。すると、例えば絵を見て、よく言われるじゃないすか。解説をしたりとか、美術館に行ったりすると。

友川:見る前に「説明をして」といわれることは多いですね。


大室:そうではなくて、感じることが大事。自分なりにこの絵を見て何が感じるのかっていうのが本当はすごく大事で。多分もしかしたらアーティストさん自身も感じてないことをポンと言われたりするときって、きっとおありだと思うんです。

だからそのやり取りがすごく楽しかったりするので、だから本当にアートを、これはこういうものですというふうに考えず、本当に五感を開いてひたすら感じる。これって何なんだろうと。本当にそれも、トレーニングだと思っていて。

水川:いいですねアートを見る行為って、正解がないですよね。

大室:そうです。

水川:作者ですら正解は持ってなくて、見た人がどう感じて、「この作品はこういうものと自分は思う」という人の数だけ正解がある、それは善悪のジャッジはないけど、その人なりの答えは必ず真実として、人の数だけあって、それって本当に戦争と真逆じゃないですか、

無数の人がいて、無数の答えが皆ちゃんと間違ってないっていう、それが尊重されるっていう、愛だなって思っていて。すごくアートを見るっていう行為って、戦争と真逆だよねって、ともちゃんと話すことがあるんです。でもなんか、そういう存在の仕方をしたいなって。

大室:なんかそれを感じてくれたら嬉しいです。だから僕ちょっと明日ですけど東大の先生なんですけど、元々多摩美の卒業生で彫刻家だったんですけど。今物理学者やってるんですよ。

友川:なんだろう、逆パターンみたいな?

大室:なんだろうこのおじさんみたいな(笑)でもやっぱり同じようなことをおっしゃるんです。それをその芸術から数の数学の世界というか、そこにいって、結局、「戦争を俺はなくしたいんだ」みたいなことおっしゃっていて。だから僕らもそうなんですけど、どうしてもそこにいざるを得ないんですけど。 でもなるべく評価されるところにいないように僕はすごくしていて。今おっしゃっていただいたように評価とか、俺ってこうですよねって、なんだか、なんらかの定規を当てられてるなっていう行為がすごく苦痛で。そうやって生まれ育ってきたんですけど、それが何かいろんなものを苦しくしてるなと。

なるべく評価するんじゃなくて感じる。ね、それがいいとか悪いとかないし、何かそういう世界の中を楽しむためにも、本当にアートっていう世界が開かれている、その根源的に開かれてるっていうところに、もっともっと何か感じてほしいなと。今回もいろいろ話していく中で、何かゴール方向へ動いてるような気がしますしないけども。

展覧会初日に、会場入口にて

友川:ここですごい世俗的な質問をお二人にしたいなと思ってるんですけど。私も会社を作って経営者なので、銀行と話をしたりとか、いわゆる経営コンサルの人と話をしたりするんですけど、すごい苦痛。もうなんかしょんぼりするんですよ毎回。自分が。あの、アートの世界では何かこうきっかけとなるものを見つけて、それを膨らませていって形にして、終わってから解釈ができるって、それでいいんだけども。でも銀行には目的を言えとか、この金は何に使うんだとか聞かれる(笑)経営コンサルにも、これをやったらいくら売上があがるんだとか、わかりもしれない未来のことを先に語れと求められるんですけど。

水川:プレゼンするときとかは、ちゃんと最後まで納得いく企画を、言葉を、出さなきゃいけないときもあるよね。

友川:もうちょっと愚痴っていい?(笑) それで何だろう、誰も夢を聞いてくれないんですよ、私がどういう夢を持ってそれをやりたいと思っているのかっていうことを聞かれたことがないわけですね。私が話しているのは、行政が提供している創業支援みたいな窓口だったりとか、本当にそれこそガチ銀行さんの担当なんですけれど、本当になんだろう、いまお2人が話し合っていることは、真逆の世界感が現実には存在してるなと。どうしたらいいでしょうか(笑)

水川:滞在していく中で、展示こういうこの場所でこれなんですっていう風なイメージが来て、やっぱりそれを、どういう展示を企画してて、予算がこれぐらいかかってみたいな、自分で予算書とかプラン書とか自分でつくってプレゼンしたりは、すごくやってる仲間も多いんですけど。

そういうときは、「これがあることによって、こういういいことが起こるんじゃないか」とか、「この方は私に何をして欲しいのかな」とか、そういうやり取りも生まれるじゃないですか。求められることと、訳のわからないことで、求められることに応えたいっていう気持ちが生まれたりとか。

今もやっぱりあるのはありますよね、こういうものをこういう空間にしてほしいって、例えば相手の方がおっしゃっていてそれに応えたいなっていう気持ちとか、それも何か一つの素材、と感じているところがあります。

例えば、こういうインスピレーションが来ました。ある人に出会ってこういう言葉を言われました。そのとき自分はこう感じました。こういうものを見つけました。みたいな、いろんなところに、全部この世界の中の素材。


大室:なるほど。

水川:だから、その言葉がこの世界にあるのも、この世界の素材みたいな感じがしていて。自分も素材っていう感じもするんです。

昭和生まれ平成育ち女性1人みたいな素材なんですよ。セッションみたいな感じ。目の前に現れたこの方のこういう言葉というひとつの出会いだったり、場所があって、みたいな。これまでの滞在制作の中で、それこそ分野を区切るつもりはないけど、そういう何かちょっと異分野というのかな、ちょっと違う聞きなれないお話とかも、やっぱり。

友川:例えば自分にとってネガティブに聞こえるような、苦しいと思うようなことを投げかけられたとしても、それはもうフラットに素材ですという感覚でいるという理解でよいでしょうか?

水川:わりと、滞在制作し初めの頃は、それに応えて何とか解決せねばってやってたんだけど。私の場合なんですけど、最近はなんかその、「え?」みたいなご要望があったときに、それに対する自分の反応の方を内省する。これを言われたときに、すごいそこに。それも素材と思ってるんですけど、感情も素材なので。自分の湧き出てくる感情も。

なんかそこ「なんだよ!」みたいな感情が出てきたとする。でもこの素材が、出てきた、のは同じ体の中にあるものなんで、それが相反しているとしたら、相反している状態で何が生まれるかっていうのもセッションなので、そこで対話をする感じにしてます。

そんなこと言われたら私の言いたいこと、伝えられなかったなぁ〜、みたいな。内省したら、私これ伝えたかったんだ本当は。とか、これわかって欲しかったなって、また内に戻っていくじゃないですか。そうすると、またそれは素材になっていくっていうか。

大室:なるほど。すっげえ面白い(笑)

水川:そういうやり取りは自分の中で面白い(笑)なんかスッゴイ悲しくて、「ううう」って泣いたりとかしちゃうんですけど、素材なんですっていう。生むための素材ですよね。

大室:何かそれに対面するっていうことですよね。感情にも対面するし、その言葉にも対面するし、だけど、そこにさっきの話と同じで「あいだ」を持つということ。「あいだ」を持ったらそ「あいだ」で何か揺らいで、遊んじゃえばいいわけじゃないですか。

友川:そこで何が起きてるかをよく見ると。

大室:それを素材にすればいいって。

水川:生むための、うん。

大室:何か言われたら言葉も素材だから。素材を、そこ、これやだっていうんじゃなくて、そこに「あいだ」を持ってしまえば、その「あいだ」の中で何かまた遊べるわけです。

水川:世界のちょっと一部みたいな感じ。そこから出てきた自分の反応も、世界の一部だから。反応も素材だと思うんです。個人の感情も、すごく大事。「これすっごい腹立った」みたいなのも大事な素材で、ともちゃんが「なんでわかってくれないの、私が言いたいこと」とか「逆にこういうこと聞いてほしい」とか、その欲望も大事な素材。

友川:そうですね。お二人の話を聞いて自分なりの結論に達したのが、行政の中でどうしてもロジカルな脳みそでしか起業家の支援ができない体制であることに、私はそうじゃない世界も知ってるから、怒りを覚えるんだけど、「あいだ」にあるのは、自分がそれを担ってもいいし、そういうことが世の中に必要だっていうことを発信しているという感じで、なにかひとつのビジョンが多分、存在しているんです。 もっと起業家の夢を聞くっていう時間が大事だと思っていて、夢が何に繋がっていくのかを、一緒に夢みてあげる。わたし、コーチとしての支援のあり方の方が、より起業家にとっては何か大事なことなんじゃないかっていうふうに思ったんだなっていうことが、多分その「あいだ」に存在しているような気がする。それが何か形になってるかどうかまだちょっとわかんないけど、その蕾がいたんだなって。それが喋ってたんだろうなっていうね。

水川:そうだね、なんかそれと触れたから出てきた本当の望み、みたいなね。

友川:確かに、それは対極がないと、永遠と自分からは湧き出てこない。

水川:そうなんだよね。

大室:そうなんです。だから対面してそこへ「あいだ」を作らないといけない。例えば海の彼方になっちゃうと、これはなかなか「あいだ」として捉えにくいじゃないですか。

友川:わりと距離が狭いほうが?

大室:狭い方が「あいだ」になるんです。

友川:ちょっと圧迫感もあるぐらい?

大室:覚悟しなきゃ〜みたいなね。この気持ち悪さに。「あいだ」をつくって距離を小さくすると、そこでこれを何とかしなきゃなるから、違うものが生まれるんですよ。

友川:物理学的にも「あいだ」が狭い方がエネルギーが高いとおっしゃってましたよね?


大室:はい。距離をとってしまうと、これはあの低周波でぐるぐる回るだけなんです。だけどここが近づけば近づくほど、実はエネルギーっていうのがすごく出てくる。出てきてここが高速回転するんです。

水川:エネルギーが。すごいわかる。

友川:え〜!っていうのは、あえて起業家ロールでお返しすると、すごい鍛えられるわけ? 圧迫の中に居ろってことですか??

大室:そうそう、そうそう!

水川:ずっとは居なくていいんだよ。

友川:正解なんだけど、ずっとじゃなくていい??

大室:アーティストさんはそんな感じなんじゃないの?

友川:そうかでも、今回の制作のために、めっちゃ圧迫してましたよね?

水川:別の次元から圧迫されて、設営の日にこの会場でボロ泣きしました。

友川:着いたとたん、わぁ〜って泣いて(笑)

水川:わぁ〜って泣いて(笑)何か、トライアスロン的な圧迫があって。

大室:アメリカのコンサルさんすごく面白いことを言っていて。企業コンサルさんの方で、何十万社ってコンサルティングをされているすごいオジサンがいるんですけど、そのオジサンが最近発見したすごく面白いことをいってて。起業家っていうのは自分の内なる旅をする人のことをアントレプレナーと言ってて。

友川:アーティストと同じですね。 大室:起業家ってつらいことと喜びと両方あるじゃないですか。すごくそれがダイレクトに出てくる。要はそこに実はチャンスがあって。現代の言い方にすると、僕、最近よくするんですけど「悟りを得る一番の近道はアントレプレナーになって、そこにひたすら対面すること」だと。内なる自分にひたすら出会っていくし、本当に今もうそうだぁと思ったんですけど、自分の感情を素材にするって。

友川:悟りをひらくには出家じゃないの?

大室:出家は必要ないんですよ(笑)感情が素材だっておっしゃってるじゃないですか? すごい言葉だなと思って。感情が素材で、それとまた出会うわけですね。それもひたすら自分の中に入っていくわけじゃないですか。


水川:人しかできないですからね。体がないといけない。自我もいる。だからすごく自我も大事だと思うんです。

大室:だからすごく、この言葉でなるほどと思いますね。本当にみんな、ある意味、自分の内側にいる本当の自分に出会う旅路を、僕らは生きていて、それがいろんな職業の生き方で全部違うんですけど。「感情も素材」だっていう、「そこに対面する」っていうことがすごい素敵な言葉だなと思って、納得すごくしてたんですけど。

水川:いいですよね。喜怒哀楽って。特に、日本人って特に「怒」の部分が苦手じゃないですか?

私もすごい元々そういう、ね、怒っちゃだめみたいな教育もすごく。別に怒っちゃだめなわけではなくて、怒り方の問題なだけで、人に怒りをぶつけるのと、自分の怒りを自分で自認するのって別じゃないですか。湧いてくる怒りを、自分で否定せずに消化できたらいい。喜怒哀楽ぜんぶ、絶対四ついるんですよね。地水火風みたいな感じで。喜怒哀楽も、自然現象のパーツとして絶対いるから。 怒の消化の仕方って、けんか神輿みたいな感じで美しくで消化するのってすごくいいなって。人を傷つけずにぶつけずに。で、その怒るとかも、怒る前に、悲しいんですね。うん、そういうこと言われて悲しいから怒る、みたいな。なんかその感情、自分の四つ、ぜんぶ否定せずに感じきるって、なんかすごい。うん、何かどれかを否定してたりするから、うまく素材にできなかったりするけど、感じててもいいって認めてしまうと、すごいそれが美しく昇華されていく。

自分自身でそれを感じるっていう行為で、感情を消化していくっていうのが、何か、自然物に近い。水とかも、感情強いんですよ。水使ってるんですけど、その、水って感情強くて。山にいると、雨が染み込むじゃないですか。その感情面をたくさん持っている水が、土に染み込む行為って、すごい感情を受け入れられてるんですよ。大きな土壌に。でもやっぱり都会に住んでいるとコンクリートに、水がもう染み込むことなく、歩道をよけて、見えないとこに流れていく感じ。感情を見せない都市の作りになってたりする。自然のあるとこにいてホットする感じが、自分の感情があるがままに受け入れられる、土壌のあり方。街のつくり。土とコンクリートの違いみたいな。

大室:ふぅ〜ん。



《根》設営風景

友川:トーク、あと15分ぐらいなので、配信を見ていただいてるお客様もご質問などもしあれば。いまワーッとお2人が盛り上がっておりますが、結構、情報力。私も大室先生のお話をなんどか聞いているので、理解がまたできるところがあると思うんですけど、水川さんの話もお2人の話をよく聞いてるので、ちょっとここついていけなかったよとか、何か今、ふつふつふとこのコメントを言ってみたくなったよとか。

水川:ご質問とかもしあれば。


参加者:ちょっとお伺いしたいんですけれど、アートを根源的に開いていくことが必要なんだってさっきおっしゃっていた。その根源的というのがちょっとよくわからなくてですね。何をもって根源的というかをもうちょっと聞いてもいいですか?

大室:ひらいてることさえわかってない。多分そうだと思うんですけど、開いてるっていうことを意識したり意図したりたりしたら、それは根源的ではない。

水川:そのものということ?


大室:そうです。基本的に僕らって別の物体としてとりあえず見えてますけど。これが本当に別なのかちょっとわからないし、もしかしたらどっかで繋がってるかもしれないし。 そのいろんな壁というか、いろんな覆いに隠されているんですね、僕らって、そんな感じがしていて。それを全部なくなってる状態っていうのが、たぶん丸裸な状態。その方が多分きっと楽だと思うんですよね。でも肉体っていうのをとりあえず持っちゃってるから、イメージとしては肉体のように閉じてしまう傾向がどうしてもあって、でも本当はこう肉体もあるんだけど、皮があるって、さっきもお話があったと思うんですけど、その中でこう。 でも、純粋にでは皮で隔たれてるかっていうと、必ずしもそうではなくて、僕らここに常在菌て皮膚の上ににいっぱいいるわけじゃないですか。それが呼吸をしたりとか、外部とやり取りしたりとか、いろんなものって実際はこう繋がっちゃってるんですけど。だから肉体というものを持つことによってその境界とか何かをまとめるとかっていうことが、僕らの原初的な思考になっちゃってるんだけど、でも本当そうではなくて、もっともっと丸裸な自分がいていいわけで、その丸裸でいる方がすごく楽だし、いろんな全てを受け取れる感じがするんで、根源的っていったのはそういう意味です。

本来は全部繋がっているし。だから仏教的に言うと、多対一、一対多といういい方をするんですけど、「自分なんだけどあなた」「僕だけどあなた」ですみたいな。でも、僕ではないけど、あなたでもないですみたいないい方をするんですけど、そういうことです。

だから、繋がりっていうのが根源的に見えると。例えば今回の作品なんかも、僕の勝手な想像ですけど、そういうものと全部繋がっていくから、それが全部こう見えてくるんじゃないかなって。 僕らが見えてないところをアーティストさんってすごく捉えていて、それは感覚であったがすごく開いているので、いろんなものを、そのときそのときで捉えているし、もっといい方を変えると、この家のこの物体そのものが、すごく意図とか意識を持ってるので、それが多分伝わってたりとか。 何かそういうふうに徹底して開いてしまうっていう、そういう意味で根源的という表現をしています。だから全て、空間さえも意識があるってこれ、実は量子力学の世界ですけど。

水川:そうなんですよね。場と会話したりとかするじゃないですか。

大室:水が感情を持ってるとかっておっしゃっているのは、多分そういうことですよね。

だからそういうふうにこう開いてしまうと、徹底して開いてしまうと、そういうものは全部感じ取れたりするし。でも、僕もたまに銭湯とかいくと、金魚が泳いでいるんですよね。「いいかげん早く餌くれよ」って言われてるように思うんです。

友川:おなかへったって?

大室:スッゴイするんですよいつも。「おなかへったから早く食わせろ」って言われているみたいにいつも思うんですよ。大体いつも同じ時間に行くから。

友川:餌の前の時間ですね(笑)

大室:何か閉じてる。閉じているということの対局を、僕らは人間として持ってるんですね。肉体として。で、閉じていないのだいうことに壁をにするために、閉じている世界を僕らは意図的につくられている。閉じてない世界の対極に必ず位置づけられるんですね。これが矛盾ですよね。


だから僕らの思考の中に、まず矛盾という言葉が必ずあるんですね。その意図は、それが神だとすれば、神はそれを作っていて、それを通して僕らをそこから何を感じたりとか、だから「あいだ」の中にいることが、僕らが豊かになる一つの根源があるのかなと思うし、アイディアとかビジネスもそうですけど、生きることっていうことが、実はその「あいだ」にいるっていうことがすごい大事なことなんじゃないかなって、今日、新ためてお聞きしたんです。

水川:あと最近、中庸というのもキーワードに感じています。この世の、社会の中で、中庸っていうのがすごくキーワードになるような気がするなと。

大室:あなたであって私である。でも、あなたでないし私ではないという。その感覚の中にいると、本当に豊かだと思いますね。

友川:今日のお話のなかでの私なりの発見は、「あいだ」と呼ばれるものの幅が、バームクーヘンなのか、入れ子状なのかわからないんだけれども、いろいろなものの「あいだ」がいっぱいあるんだなと。それが一緒くたに、すでにここに存在しているんだというのが、世界観として面白かったです。

どうやって揺らぐのって? っていう疑問も持つけれど、安定してるって多分、誤解なんですよ。でも安心してしたい人間の不安さみたいなのもありますよね。


大室:欲ですね。


友川:だけど、人生って、不確定要素しかないじゃないですから、生まれてこの方、安定してることなんて実はなかったはずなのに、安定してるという誤解をしたいっていう欲の中でどこか決まった固定位置があるような気がしてる。けど、多分それは誤解で。 たゆたゆように行ける筋肉を、それこそ鍛えると、なんかめちゃめちゃ豊かなところに行けるのかな。もっと行きたいよ〜みたいな感じなんですけど。



《根》部分


大室:いや、あの、この蔵の中にある、先ほど見ていただいた絵を見たときに、感じたのが、すごく繊細であるということと、僕最近、「木を見て森を見る」って表現をよく使うんですね。


繊細であることが、結局俯瞰することだっていうふうに、すごく、いろんな人の言葉を聞いたりいろんな人の意見を見ていると、これよく日本的に言うと「木を見て森を見ず」って言うじゃないですか。あれ全然嘘だなと思って。木を徹底して見るんですよ。


勝手に俯瞰ができるようになる。僕はビジネスの方の研究者なので、優れた経営者とかリーダーって、すごく繊細なんですよね。めちゃくちゃ繊細なんです。学生にもよく言うんですけど、不安症って、僕的にはすごく拍手したい。そこすごい大事だよって。

実はその繊細さがちょっとやっぱりつらくなるっていう人が、たくさんいらっしゃるので、それでどうやったら戻ってこれるのかなっていうときに、先ほど「身体に」っていう話で、それもヒントだなと思いながら聞いたんですけど、でも本当に優れた何か面白いことやってる人って本当に繊細です。

繊細さと強さ。攻撃的なものとそうではないもの。陰陽って、中国なんかででてくるはっきり分かれたものではなくって、そこにグラデーションがあるんですよ。そこにも「あいだ」があって、そこで揺らぐんですよ。

友川:でもあれ、多分エネルギー法則の話を言ってるんですよね。

大室:だからわかりやすくしちゃ駄目なんですよ。

水川:本当は、にじみみたいなのがある。

大室:僕、本当に偉そうに言うと、本当は講演をしたくないんですよ。大体リクエストされるのは、わかりやすく喋ってくださいって言われちゃうわけですよ。

友川:2時間でとか?

大室:2時間なんていいほうで、30分でわかりやすく説明しなさいと。いやそんなの無理だよって言うんですけど、だからわかりやすさって嘘なんですよ。嘘つきでしかないんでしょうね。


わかりやすいものじゃなくて、わかりにくいものに、トライするっていうのがすごい大事なんですね。だから、基本的にわかりやすいものはあんまり興味を持たないでいただいて、わかりにくいものに興味をもつと、人生豊かになります。

友川:複雑さの中に自ら飛び込んでいくと?


大室:そうだから僕、絵とかってすごいすごい素敵だなと思っていて。絵画だけじゃないんですけど、自然もそうじゃないですか。単純ではないので、わからない。

水川:5%しかわかってないって。

大室:全然わかってないんです。

友川:宇宙のこととか、地球のこととかも、誰も知らない。数%しかわからないんですよね。

水川:宇宙の中で解明されているパーセンテージが、脳の中で解明されてパーセンテージと一緒だって聞いたんですけど。

大室:でも、本当に今4%とか5%とかいわれていて、宇宙も。やっぱりすごい面白いのが、先ほど身体の話があるんですけど、僕らが受け取っている情報を、認識している割合が0.00004%。僕らが受け取ってる情報を、認知できている割合が0.00004%っていう研究結果がでえていて。だから、いかに、気づきっていうものを広げていくと、その受け取る情報がもっと増えていくんですね。

友川:受けてはいるけどそこにアクセスできていない。ブラックボックスに入れちゃってるっていう感じですよね。

水川:アクセスしてるけどただ気付いてないだけで、全員やってるかもしれないし。

大室 : それを、例えばアートとかっていうのが僕は引き出してくれる素材なのかなと思ってて、今年も本当に夏はかなりの日数、ひたすらアートを見てたんですけど。


友川:そうですね。作品そのものもやっぱり感性を開いてくれると思うんですけれども、私見る環境も結構大事だなと思っていて。美術館が必ずしもすごく良い鑑賞体験を約束してるかっていうと、まあ、いろいろあるなと思っていて。 でも、自然の中とかはやっぱり感性が開けるので、大室先生も行ってらした瀬戸内とか新潟の妻有とか、自然の中で感性がひらいて、さらにアートを見てそこでこう感じるものがあるみたいな環境が、本当にすごく素敵だなと思いますので、展示も、空間と一緒に楽しんで欲しいなと。


大室:ギャラリーがいいですね街の中にあるギャラリーがすごい好きで。長野行ってそこが一番しんどいところなんですけど。


友川:ないですか?


大室:僕元々京都にいたので、京都時代は、だいたい仕事しんどくなると、ギャラリー詣をしている。もう山のようにギャラリーがあって、東京もそうですけど、あの京都はちっちゃいので、すごく密集したエリアにギャラリーさんがたくさんあって、いろんな絵が飾ってあって、それだけでもう。


友川:ギャラリーの良さって、ちなみに美術館じゃないんですか? そういう時は?


大室:美術館じゃないです。美術館行きたくないです。あれはすごく論理的な世界観で。


水川:説明されてますよね、ある程度は。


大室:そうそうそうです。箱そのものが、要はすごく人工物っていう感覚がすごくしてしまっていて。近代的な建物で作られてる美術館行くと、とにかく作品とは別に、何かさっきのあの建物の意識がすごくトゲトゲしい感じがしたりとか。すごくシステマチックな空間にあるなというのは。 でもギャラリーの方がまだ余白が結構あって、ギャラリー用に(空間を)つくってないじゃないですか、大体。ギャラリーさんって、何かあったところを転用していたり。


水川千春「根の花」展示風景(会場は大正時代から残る元質屋を改装したギャラリー)

友川:ちょっと改修していたり。


大室:何か違和感があったりするじゃないですか。なんでここにこんなところに小窓がついているのとか。その余白というか揺らぎがあるから、ギャラリーの方が好きで。


瀬戸内も、別にアート作品を飾るための空間じゃない。必ずしも。何かそこに違和感がある。それを感じるのもすごい好きで。やっぱり美術館は行きますけど、でもあの空間よりも、こういう空間とか、自然の中の空間で、アートを異物、さっきの話です、違うものと違うが出会っている瞬間がいいなと。美術館ってアート作品を見るための空間に、人造的な、意図とされた空間になっちゃっているので、そこがすごくつまんないんですよね。


水川:私は結構、両方好きなんですけど、ちょうど何か、やっぱり今のお話聞いてて、いままた表の(通りから)音楽が聞こえてきたりしてて。場所性と混ざる感じはすごく、ずっと滞在制作を続けてきたので。違った力が、こう働いたりしている場所も、魅力だなぁと思いますね。

大室:美術館は美術館でいいところ。ギャラリーはそこに溶け込むような、あんまり建物としての主張しないっていうのがものすごくいいところ。

水川:また違った目的がね。

大室:だから、もっともっと、ギャラリーにお金を払ってですね、皆さん。

友川:見るだけは無料です(笑)

大室:大体、ギャラリーに入っちゃうと欲しくなっちゃうんです。この弱みがけっこうあって(笑)

友川:およびたてしてしまってすみません(笑)本日はありがとうございました!「あいだ」を堪能できるようなトークになったかと思います。


水川:ありがとうございました。

《根》の前で 水川千春

公開トーク『粒子の言葉をつむぐ』大室悦賀(研究者)×水川千春(美術作家)

2022年11月6日(日)13:30〜15:00 実施



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